月刊OUTって、何だったのかな? 月刊OUTって、何だったのかな?

かつて「月刊OUT」というアニメ/サブカル誌がありました。
元読者3人からなる「月刊OUT勝手連」が、当時の編集部員やライターなど、雑誌にかかわった方たちへのインタビューを通して、18年にわたる雑誌の歴史を振り返ります。
前の人インタビュー集トップ次の人
大徳哲雄さん第2回( 123 | 4 | 5 )
インタビュー:大徳哲雄さん 第二回(その3)

大徳さんといえば、なかむら治彦さん(インタビューページ)が連載4コマまんが「湯島ウラ行進曲」などで描かれた似顔絵のイメージで記憶されている方も多いのではないでしょうか。ここはぜひインタビューページにも……となかむらさんにお願いしたところ、当時の似顔絵と、近年の似顔絵をあわせて描いてくださいました。ありがとうございました!


公開日:2026年6月6日


芦田豊雄とじんすた登場
「芦田さんはもっとも強い理解者だった」

「お久しぶりのパロディ大特集」'84年12月号。表紙はまいどくん。新鋭の仁最祖義&須田留貧による、『大魔神』と『とんがり帽子のメモル』をネタにしたパロディ記事「大美神」から始まり、「えっ?スタジオ・ライブが分裂!?」という記事では、わたなべひろしが芦田豊雄と袂を分かち、新しいスタジオを設立するという嘘のスクープを、芦田も含むライブのスタッフ総出演で繰り広げた。この記事で4コマ漫画を描いているのは、OUT初登場のみんだなお。

またパロディの話に戻りますけど、この'84年あたりで変わったいうのが、人が変わってるんですね。まず、みんだなおさんが登場したのと、仁最祖義さん・須田留貧さんのコンビ[44]も出てきた。さらには「スタジオライブ分裂」、これもアニメパロディでは全然ないんですが、このくらいからもう本当に弾けちゃったみたいな感じがするんですが。

まずスタジオライブ[45]と芦田さん[46]の話からしますね。さっきも言ったようにね、パロディにされる側の人たち、作り手側の人たちが、OUTに対してどう思っていたかというと、すごく親和的に思ってくれてる人、要するに、自分たちの作った作品を、ある意味で正統的な評価とは違った形であっても面白がって遊んでくれてるな、ありがたいなって思ってくれる人と、そうじゃない人っていうのがいるわけじゃないですか。

で、芦田さんは、面白がってくれる人の最先鋭、もっとも強い理解者だったんです。たまたま芦田さんをアニメーターとして取材をした時に、インタビューを僕が担当したんだけど、「OUTはすごく面白いんだ」と。パロディ精神とかそういうものもすごく面白いし、自分の感性にすごく合ってると。「だからOUTにはいくらでも協力しますよ」なんてことを言ってくれた。

最初は芦田さんに何かを頼もうっていう気持ちはなかったんです。単純に気が合っちゃったので、「じゃあ、たまには飯を食ったり飲みに行ったりしましょうよ」っていって、スタジオライブの宴会に呼ばれるようになったんです。それで僕も他の編集者も人たちも行って、意気投合しちゃったんです。それで仲良くなってるうちに、アニパロとかそういうのじゃなくて…アニメの下請けの制作プロダクションの競争みたいなものがあって、それをネタにして「ライブが分裂」という企画をやってみないかって話になって。芦田さんも、アニメーターとしての活動もやりながら、自分たちで同人誌みたいなものを作ってたんですよ[47]。それもすごく面白かったので、「じゃあやってみましょうか」ってなった。

とにかく芦田さんはOUTに対してすごく積極的な理解者で、自分もその企画に参加したいと。それまでアニメの作り手そのものがさ、企画に参加してくれるっていうことはあまりなくて、最初の人だったので、まあ悪ノリしたっていうか、芦田さんもキャラクターとして出て構わないって言ってきたし、調子に乗っちゃったんですね。

で、話をしてみたら、芦田さんはものすごく面白い人なんです。世代的に僕より10歳くらい上で、完全に全共闘世代なんです。ある意味で、僕よりもラジカルな政治思想の持ち主なわけ。だからそこもすごく共感しちゃったところでもある。一時、マルクスとかそういう共産主義理論とはまたちょっと別な、アナキズム[48]っていう流れがあって、自分はそのアナキストだって言うわけです。そういう方向性での革命みたいなものを考えてるんだって。あの人は恥ずかしがり屋さんだから、それを生の形では言いはしないけども、そういうことをすごく言っていましたね。

それから大衆というものが、保守的であると同時にすごくラジカルな存在なんだと。だから保守的な表現ではない、OUTのラジカルさはすごく面白いって言ってくれてて。そういうところまで理解されちゃうと、僕としてはもう、「本当にこの人はよくわかってくれてるんだな」って…それでますます仲良くなったんです。だからアニメーターとしての作品の作り手というのと、OUTでいろいろ企画をやってもらう存在としてと、友人みたいな関係。その3つの方向性で、一緒に企画やったり、遊んだりした人なんですよね。

芦田さんが存命だったら、いまどんなことを言ってましたかね。

いろんなことをやったでしょうね。面白かっただろうと思いますけどね。

芦田さんが、ユーモアの部分で、OUTに共鳴するところがいっぱいあるというのは、傍からもわかりましたけど、もっと根本的な価値観のところで…。

根本的な反権力主義者。

それで通じるところがあったんだなっていうのは、今回うかがって、驚きというか、納得しました。

「宇宙編集者アウトシャイダー」'85年5月号から始まるシリーズ企画。特撮番組『宇宙刑事シャイダー』[49]のパロディで、大徳寺哲(T編集長)がOUTコンバットスーツというコスチューム(着ぐるみ)をまとってアニメ業界の悪と闘う。撮影は近所の公園などで行われ、読者もエキストラとして出演した。'86年2月号ではアイドルの宮里久美と共にポスターに登場、ついに'86年3月号では本誌の表紙を飾る。敵役のザッシギャランには須田留貧が扮し、'86年1月号ではカラーポスターに。さらに「世界征服特集」の記事中では浅倉ジュリーがザッシギャランのファンクラブを作っている。

須田留貧くんと仁最祖義くんは、OUTの読者で、編集部に遊びに来るようになって、パロディ企画みたいなものを持ってきたんです。で、前も言いましたけど、めちゃめちゃ面白かったんです。それで「これはぜひやりましょう」って取り上げたら、すごく受けるわけ。『アウトシャイダー』も彼らの企画ですから。これは特撮のパロディなんだけども、編集者自らがキャラクターになって登場したら、今までにない面白い企画になるからって言ってくれたので、「そうだね」って。そしたら、着ぐるみみたいなものも作ってくれて、いろんなことをやってくれた。それがまた受けたんですよね。

仁最祖義&須田留貧の新しさというのは、雑誌を作ってる編集者を、更にはライターすらも、その前面に出しちゃおうってやったことなんです。OUTでは雑誌の中で編集者をイニシャルで呼ぶことで、それぞれが親しみを持てるキャラクターになったと思うけど、映像として、絵としてそのまま出てきて何かをやるってことは、さすがにしてなかった。そういうことは僕らにとってタブーだったんです。出版界の中では、雑誌とか書籍の編集者が前面に出ていって何かやったり表現したりするってことは許されないという、「編集者黒子論」というものがあったんですよ。それを表現するのは作家であり、寄稿者であり、あくまで編集者は裏方に徹しなきゃいけないという考え方がずっとあった。それも僕らからしてみれば崩したい固定概念だったので、じゃあ、あえてやっていきましょうよ、と。やってて面白かったしね。

本当はこれも『宇宙刑事シャイダー』を作ってるところからしてみれば、なんなんだっていう部分もあると思いますよ。だけど一回もクレームをつけられたことはありません。時代状況としては、OUT以外にも、テレビとかそういうもので特撮キャラなんかの着ぐるみを着て出てくるようなことが出始めた、というのもあるからね。いわゆるコスプレ。そういう意味ではそれはわりと許されたのかもしれない。

須田留貧くんは、今は三条陸[50]っていう、もう特撮業界では大物の脚本家になってるわけで。それは確か公表して構いませんよって三条陸の本の中で言ってたので、載せても大丈夫だと思いますけれど。だから、そういう新しい企画を彼らが持ってきたのは、才能として開花していくところだったわけですよ。

この『アウトシャイダー』って、その2人が企画を持ってきて、「これ編集長やりませんか」って言ってきたってことですよね。で、着ぐるみまで自前で作ったって話がどこかに書いてあったんですが。

「衣装代のお金だけは編集部が出すから」って言ってさ。その代わり、高いお金は当然出せないわけです。でも、彼らもそういう特撮ファンとか、作品を作ってるところとも繋がってたし、自分たちもこういう造形を作るそのノウハウを持ってたんですよね。なので、彼らが自分たちで手作りで作ったんです。

この着ぐるみ、まだ持ってるんですかね?

えっ、いやあ、持ってないと思います。この2人だけじゃなくて、彼らは「十八VAN PLANNING」っていう集団を作ってて、この2人以外の人たちもそういう力を持ってたので、集団作業でやったんですよ。

OUTはトリックスター
「常に外部にはみ出て 中心を笑い飛ばして 全体を活性化させる

「巨大究極特集!よみがえれ!スーパーロボット!」'85年12月号。「超究極ロボ マックスハイパービッグキングダム」という、マジンガーZの顔にガイキングの角で額はコアファイター、ダイオージャの胸に右手はイデオン左手はマクロス…のロボットが巻頭ポスター。「(C)そんなもん知るか!」。他にも「必殺技・必殺武器大事典」「独断!ロボット・ギネス」「今、明かされる秘密基地!」「日本の10大マッドサイエンティスト」などのバカ記事が満載。

なるほど…。お二人といえば、これもまた素晴らしいバカ企画だなと思ったんですが、スーパーロボット特集。

はい。究極のスーパーロボットね。

例えば『今、明かされる秘密基地』って、いろんなロボットものの作品に出てくる秘密基地を日本地図にマップした記事とか、もう小学生の男の子がそのまま大人になったようなテイストですよね。

そう、これは須田留貧くんたちの企画ですよ。

これはそれまでの、例えば'82年頃のOUTにはなかったテイストだと思うんです。で、本当に雑誌って、人なんだな、と思ったんですね。流れを見ていくと、受けていたものがちょっとマンネリになってきたと。ところがある時に新しい人たちが登場して、またぜんぜん違うカラーを持ち込んで、それがまた読者に受けるという。そうやって人を呼び込んでくるというのは、どういう感覚なんでしょうか。

結局ね、企画って同じようなことをずっとやってると、やっぱり飽きてくる、マンネリになってインパクトがなくなってくるわけです。じゃあどうしたらいいかって言ったら、それまでの企画の枠の中から、どこかではみ出るということをやって、そこからの視点で作り直すというのが一番いいんですよね。だから、まさにその雑誌のOUTという名前が象徴してるように、外なんです。いったんその体系の中から出て、外部の視点からいろんな物事を捉えなおすということをやると、すごく新鮮になるんですね。それはお笑いもそうなんです。

僕は前も言ったように文化人類学・構造主義人類学にすごく興味があった。それで山口昌男[51]っていう人類学者がいて、この人のトリックスターの理論というのがあるんです。つまり文化というものには中心があって、その周辺というものがあって、その文化の中心を周辺の外部のものが道化みたいな形で侵食していって、それですごく全体が活性化されるんだっていう、「道化の論理」っていう理論を展開して、文化を解釈していくことをやってたのね。そのトリックスターというものにOUTがぴったりなんですよ。

雑誌界、あるいは文化・サブカルのトリックスターでありたい、みたいなね。常に外部にはみ出ていって、それは道化かもしれないけれども、その中心を笑い飛ばしたりすることで全体を活性化させるというのが、OUTという雑誌の基本的な論理なんですよね。僕はそれをちらっと書いたような覚え[52]もあって、本当はそうやって生の形で言っちゃうのもなんだかなっていうのはあるけど。

それは常に「OUTってなんなんだ」って思った時に、いちばん僕の中でストンと腑に落ちたのは、「OUTってやっぱりトリックスターなんだよね」っていうことなんです。今の文化の中で、雑誌におけるトリックスターというのはあんまり見当たらないけどさ。だからパロディもアニパロも、いろんな面白い企画も、お笑いの企画も、トリックスター的な立場で取り組んでるわけですよ。本人たちはトリックスターだって思ってないかもしんないけど、機能としてはそうなってるわけです。

そのトリックスターがメインを張るっていうことは、ものすごく難しいんですよ。だから、さっきアニパロコミックスを本当はオリジナルの漫画誌にしたかったって言ったけども、そう簡単にはいかなかったと思いますよ。やっぱり自分でも若かったんだなと思うんだけどさ。

ちょっと違う視点で、一般企業だとよくあることだと思うんですけど、組織の中で親分が顔を出しすぎると部下たちがついてこない、みたいなことは、OUT編集部ではなかったんですかね。

うん、あったと思います。僕だけちょっと突出しちゃったところはありますから。やっぱり人間は嫉妬の動物でもあるからさ、いいふうに受け取る人もいれば、なんであいつだけがこうなっちゃうんだよって思う人もいたでしょうね。会社の中でもそうですよ。特にOUTの編集部員以外の社員たちね。それはね、ごく普通の人間集団と同じ。ただね、出ちゃってはいるんだけども、なるべく「俺が俺が」じゃなくて、他の編集部員とか社員の人たちの反発を浴びないようにって心がけてはいましたよ。

OUT編集部の編集会議って、常に笑いにあふれてたんです。普通さ、会議だとみんな、うつむいて暗くなるじゃないですか。そうじゃなくて、もう常にお笑いですよ。だって面白い企画がいっぱい出てくるんだ。そこで笑いを取れるか取れないかで決めてた部分もあるから。前も言ったけど、編集会議って、何の企画がいいかって頭をつき合わせてうんうん唸るんじゃなくて、酒を飲んで、酔っぱらわせてタガを外して馬鹿話をして、受けた馬鹿話を実現するっていう、そういう雰囲気を常に心がけていました。だからOUT編集部で働いてるときは、売れない時は辛かった部分もあるんだけど、けっこうにぎやかで笑いにあふれてました。

だけども、人間関係としてはすごく難しかったね。OUTという雑誌そのものが会社の中で突出しちゃった部分もあるし、OUT編集者の中で僕だけが突出しちゃった部分というのもある。それを理解してくれる人と理解してくれない人が出てきたっていうのは、ありますよね。だから、僕がやめちゃったっていうのもそういうことですよ。でもそれは、あんまり生々しい言い方で言うのもなんだからさ、言わないけどね。

(編注:実際はこういう場ではT編集長だけシラフでいたそうです(笑)

うん、自分もこういう年齢になると、そうだろうなと想像しますよ。

ご想像の通りです。OUTだけが常ににこやかに理解し合えてた集団、ではなかったですね。

読者にはそういうことは全然見えてなかったですよね。

見せなかったし、見せるべきじゃない。ただ、たまにさっきの編集後記みたいに、「疲れちゃったよ」みたいなことを、ぽろっと言っちゃうことはあったかもしれないけどさ。

編集後記にはやっぱりその人が出ていて。例えばGさん[53]なんかよくそういう感じのことを書かれてましたけど、Yさん[54]は全くそういう思いみたいな部分は出してないですよね。Nさん[55]は、特に後期でご自分で編集長をされるようになってから、かなりそういう感じが出てますけど。

そうだと思いますよ。すごく人が出てると思いますよ。

OUTパロディ大賞
「新しい波は常に来るものではなかったね」

「第一回OUTパロディ大賞」'86年2月号、「第二回OUTパロディ大賞」'87年2月号。小説部門・マンガ部門・企画部門があり、応募総数はそれぞれ262本・226本。いずれも大賞(賞金30万円と副賞)は該当作品なし。コメントには「別に賞金をケチったわけじゃないかんね」とも。特に第二回の選評では「絶対的な基準(OUT、APCに掲載されている作品の平均的レベル)に照らして、それを上回る作品がなければ入選作ナシもやむを得ない」という考え方が選考委員のC・RII・Nから出ていたと記されている。

OUTパロディ大賞という企画が2回行われてるんですが、どっちも大賞は該当作なし。これはやっぱり、読者の才能を発掘しようっていうことなんですよね。

もちろん、そういうことでやりました。

でも、要求する水準がちょっと高すぎたんでしょうか。

うん、だからね、パロディとか面白いものって、こういうふうに募集したからって、面白いものが出来上がるとは限らないんじゃないか、むしろ、そうやって計画されたものではないところで、ぱっと出てくるものなんだなって思いましたよね。これで大賞の募集を2回やって、2回とも大賞が出なかったっていうのは…そこが難しいところなんじゃないですかね。

選ぶ側として、パロディの先にあるものを見据えていた、パロディにとどまらないものを求めていた、という感じはあるんですか。

今までのものとは違う発想みたいなものはすごく欲しかった。今までいろんなパロディでOUTに登場してきた作家さんたちがいるじゃないですか。それは、やっぱりそれまでにないパロディのセンスみたいなものがある人が、出てきて取り上げられてきたわけですよね。で、パロディ大賞を企画してる時点で、もうパロディ企画に行き詰まってるってことですから。だから、何か違うセンスが欲しいなって。そうでなかったら、読者からパロディ大賞なんか募集しないんですよね。

何も言わなくても、どんどん来るんだったら、それでよかったと。

いや、そこは難しいとこなんだよね。

そのパロディを始めたころ、浪花愛さんとか岩崎摂さんとかそういう人たちが、わっと最初に出てきて、でもそれはひとつの波で、そのあとの波がなかった。

だから、その新しい波って常に来るものだって、ある程度思ってたけど…。こういうものをやっていれば、いずれ新しいセンスを持ったやつが出てくると思ったけど、意外とそうではなかったよね。だから、そういう人たちが登場してきた時の波って、やっぱりすごい偶然だったんだなって思ったね。

投稿ハガキですごく面白い人たちが、必ずしもその後クリエイターになって面白いとは限らないんじゃないか、才能がちょっと微妙に違うんじゃないかっていう話を僕らで話したことがあったんですが。

ハガキ職人の限界、みたいなね。

そうですね。僕の口からはなかなか言いにくいですけどね。それはあると思いますよ。

僕ら投稿者から見てもこの人はこんなに面白いんだから、プロになったらすごいだろうにって思っても、プロになりきれない人が…。

いっぱいいますよ。だからアウトの常連投稿者で、常に面白いネタを出してた上の層で、それを仕事にしていった人って、逆にすごく少ないと思います。

それは別にぜんぜん悪いことじゃなくて、ハガキの方ですごく面白い、それは素晴らしいことだし、でも本当に、要求されるものの違いというのがあるのかなって。なかなかいろんなところに才能を発揮できる人は多くないのかもしれない、と思いました。

だからその中で、力押し三五郎さんであったり、山茶花留依さん[56]もそうだと思うんですけど、やっぱりちょっと違って、飛び抜けてたんですかね。

うん、そうですね。

山茶花留依さんはどういう経緯だったんですか。

彼女も常連投稿者で面白い投稿してきたし、面白かったので。で、僕はもうちょっと彼女の才能を伸ばして、プロの漫画家みたいなところまで持っていけるかなって思いましてね。ただ、本人にその気はあんまりないのと、アメリカに行っちゃったのでね。アメリカに行って、結婚して幸せになっちゃったから、それはそれで彼女の選んだ道なので、と思いましたね。だからアメリカまで追っかけて、あれやれこれやれっていうことにはならなかった。ただ『あるみか通信』って、そのアメリカの時の体験を活かした原稿を描いてくれたりはしましたけどね。

あの連載には、僕は実はすごく影響を受けたんです。僕はある時期アメリカに住んでたことがあるんですけど、その時に生活の色んな場面で『あるみか通信』を思い出して、そういえば、こんなこと描いてたなって。

だから、もうちょっとうまくやりようがあったのかもしれないんだよ。

でも、どうしても表現は生活の先にあるものだから難しいんですよね。人生がやっぱり先に来るから。

留依さんもぜひインタビューしたいなと思ってるんです。

彼女はね、本当にいい意味で、ちゃんと常識を持った人でした。会ってみると、まさかこんな子が、こんな漫画描いたりこんなネタ考えてるんだって、びっくりすると思います。

そうなんですか。漫画に描かれていた人生を見てると、けっこうぶっ飛んでる。

ぶっ飛んでる感じがするでしょ。全然そうじゃない。

投稿者と投稿文化
「Cさんの笑いの感覚をミックスサンドに取り込んだ」

いろんな人を見てこられたと思うんですが、投稿者のはがきの印象と実際の印象って、どうなんでしょうか。そこから見えてくる投稿者全体の姿みたいなものってありますか。

本当に千差万別でしたね。投稿の内容とすごくぴったり一致する人もいるし、全然違う人もいるし。

予想できるってものでもない?

うん、予想できない。あなた方もさ、常連投稿者といろいろ繋がりがあってさ、そう思わない?

確かにそうですね。

会いたいと思ってるのに会えてないやつもいるけどね。

例えばどなたですか。

例えば、久保田亘[57]ね。久保田くんとは会ってみたかった。逆に何度も会って、そのままだなと思うのは、るさまわす[58]。あの人はね、異常な才能があったと思うのよ。ただ、あまりにも才能センスがラジカルすぎて、一般受けしないんだよ。それで実際に会ってみたら、ほんとに変なやつなんだけど、もちろん、基本はちゃんとした常識人。

読者投稿に関しては、CさんとGさんとEさん。ある時期からは、やっぱりGさん、彼女がいちばん詳しいんじゃないですか。僕は実を言うと読者投稿欄って、『OUTLAND』[59]とか『READER'S VOICE』[60]くらいしかやってないんですよ。お笑い系の投稿コーナーは他の人、CさんとかEさんとかGさんがやってて、僕自身はやってないので、常連投稿者との繋がりっていうのは、直接的にはあんまりないんです。

そこもお聞きしたかったんですけど、OUTの投稿文化の源流を追っていくと、『ミックスサンド』[61]になるんですよね。最初の『Fromお茶の水』[62]では投稿者の名前が出てなくて、途中で名前が載るようになって。そのあと『ミックスサンド』でSさんって女の子の投稿者が人気者になったりして、常連投稿者みたいなものが生まれた。それから『ミックスサンド』はお題に対する投稿のコーナーということで、その後の笑いの方向性のフォーマットみたいなものがそこで決まったんじゃないかな、と。

それは本当にそう思います。『Fromお茶の水』はK[63]という人が土台を築いた。それをCさんが受け継いだ。で、Cさんは落語のファンだったんですよ。だからその落語的な笑いの感覚を『ミックスサンド』に取り込んでいって、三題噺とかああいうのをやったりして、そういう方向性が強かった。

そこに『オールナイトニッポン』とかの当時のラジオの文化の影響なんかもあったと思うんです。お題を出して、ひねったネタを返してくるみたいな。そうやってCさんの感性を出発点に、そのままずっと10何年も続いたんじゃないかって思いますね。

いろんな時代にそういうお調子者とかひねくれ者を吸い寄せる場があると思うんですが、最初にOUTがそういう媒体として出てきたので、そこにみんな吸い寄せられていって、OUTがそういう場になっていた。でも'80年代後半になると「アニメ冬の時代」で、部数も減れば投稿者のパワーも全盛期に比べたら下がったかもしれない。場としての新鮮さもだんだん変わってしまうのもあるし、難しいですよね。どうしても寿命はある。

うん、そうなんです。あらゆるものには寿命があるんです。常に絶頂期っていうわけにはいかないのでね。

お話を伺って、アニパロの衝撃もそれほど長くは続かなかったことがわかりました。10周年に至るまでのそんなに長くない年月のあいだにも、アニパロの時期が終わって、それとはまた違う読者と編集者のラジカルなやり取りの時代が始まったりと、激しい変化があったんですね。

そうです。読者と編集者の戦いでしたね。それはすごくあった。

→ その4につづく

前の人インタビュー集トップ次の人
大徳哲雄さん第2回( 123 | 4 | 5 )

[44] 仁最祖義(じんももとよし)と須田留貧(すたるひん) : 「じんすた」のコンビ名で多くのパロディ企画を担当する。そのほか読者の記憶に強く残るのは'85年5月号から始まる『アウトシャイダー』であり、それに続く『ヨモスエ警備隊』であろう。須田留貧はその後も長くおもちゃ紹介コーナーを連載する。

[45] スタジオ・ライブ : '76年に芦田豊雄が設立したアニメ制作スタジオ。記事当時の'84年は『ミンキーモモ』『バイファム』で芦田人気が高まっていた頃で、その後もスタジオ・ライブは『超獣機神ダンクーガ』『魔神英雄伝ワタル』『美少女戦士セーラームーン』などに関わり、只野和子/神志那弘志/吉松孝博ら所属アニメーターにも人気があった。文中のパロディ記事などのほか、'91年から'95年まで連載された『スタジオ・ライブのライブDEずっぽ〜ん!』では芦田だけでなくメンバーが小コーナーを持ったりリレー形式で4コマ漫画を描いたりした。

[46] 芦田豊雄 : アニメーター、アニメ監督。『UFO戦士ダイアポロン』で初キャラクターデザイン。代表作に『魔法のプリンセス ミンキーモモ』『銀河漂流バイファム』『魔神英雄伝ワタル』など。OUTでは投稿コーナー『芦田豊雄の人生冗談』『ライブdeずっぽーん』において、強烈な下ネタとギャグセンスで熱狂的なファンを獲得した。2011年逝去。

[47] らでぃっく :『STUDIOライブの本 らでぃっく』。なぜ地方中学生のKNがこの同人誌を持っていたのかよく覚えていないが、かつて福岡・天神にあったアニメック(アニメグッズなどの専門店)で予約購入したよーな気が。3冊セットで渡辺浩/只野和子/西島克彦のスタジオライブ3氏の巻頭特集のほか、バイファム初期設定資料などが掲載。「アニメ誌言いたい放題!!」などの記事も興味深い。ちなみに'93年にはムービック社から『らでぃっく2』が刊行されている。

[48] アナキズム : 国家や政府、法律、宗教など、あらゆる権力や支配を否定し、個人の自由と自発的な協力に基づく平等な社会を目指す政治思想。単なる無秩序ではなく、支配がない状態(アナーキー)こそが真の秩序を生むと考え、相互扶助や対等な人間関係を重視する。

[49] 宇宙刑事シャイダー : 東映制作の特撮テレビドラマ。'84-'85年。『宇宙刑事ギャバン』『宇宙刑事シャリバン』に続く「宇宙刑事シリーズ」第3作。主人公・沢村大が「焼結!」と叫ぶと1ミリ秒でコンバットスーツが焼結し、シャイダーとなる。武器はレーザーブレード。なお、アウトシャイダーは主人公・大徳寺哲が「発行!」と叫ぶとスーツが現れるが、実際の撮影時には1時間ほど着用に時間がかかり、また一度着るとトイレに行けない。武器は灰皿ブレード。2026年2月、スーパー戦隊シリーズの後枠として『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』が放送開始。後番組は『アウトシャイダー インモラル』が予定されている(嘘)。

[50] 三条陸 : 漫画原作者・脚本家。『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』原作、戦隊シリーズ・仮面ライダーシリーズ脚本など。月刊OUTではライターとして須田留貧(すたるひん)の名義で『OUTシャイダー』などのパロディ企画を手掛ける。

[51] 山口昌男 : 文化人類学者。両性具有・トリックスターをテーマとした著作で「中心と周縁の理論」を発表し、高い評価を得た。'80年代のニュー・アカデミズムブームの基盤を作ったとも言われる。2013年逝去。

[52] ちらっと書いた : 『OUTLAND』'82年2月号、「OUTって何だろう?パート3」。 OUTのあり方についてT編集長が考える連載記事で、山口昌男のトリックスター論について言及がされており、「OUTはアニメ雑誌界のアニメ界のトリックスター的な意味をもった雑誌なのだ」と書かれている。

[53] G : 月刊OUT編集部員。映画コーナーや投稿コーナー「投稿時代」などを担当。強烈な個性に影響を受けた読者も多い。掲載謝礼の封筒の書き文字がでかかった。

[54] Y : 月刊OUT五代目編集長。編集後記は家族ネタが多かった。ラーメン丼をかぶったイラストは、宴会芸から。

[55] N(南波健一郎) : 月刊OUT編集部員、のちに月刊OUT六代目編集長。アニメ記事や『見たかキミは…!?』『好きなものはエトセトラ』などのコーナーを担当。

[56] 山茶花留依(さざんかるうい) : 漫画家、元投稿者。OUT誌上で連載された日常異文化エッセイ漫画『あるみか通信』('86-'93)は、アメリカへの留学・就職・結婚・出産を描き、読者もその人生を共に歩んだような気持ちにさせてくれた。

[57] 久保田亘 : 投稿常連。ちょっとダークな匂いのするナンセンスギャグが特徴。

[58] るさまわす : 投稿常連。'86年3月号の浪人座談会にも登場。『花小金井かんとりい倶楽部』で有名な、「カレーの王様代々木店襲撃事件」を主導したのもこの人。

[59] OUTLAND : '81年11月号より'83年4月号まで連載された、OUT編集長Tが自分の思うところを記すコーナー。「編集者と読者のみなさんを結ぶ、がらにもなくマジなページ」と記されていた。

[60] OUT READER'S VOICE : '82年11月より始まった投稿コーナー。他のコーナーと異なり、アニメ作品の批評や社会批判・読者の悩みなど、シリアスで真面目な投稿が主体であった。コーナー名を変えながらも休刊時まで続いた。

[61] ミックスサンド : '78年12月号に始まった読者投稿コーナー。お題に対してのショートショートや三題噺、アニメのパロディ投稿など、馬鹿馬鹿しくも知的なセンスが光るコーナーであった。

[62] Fromお茶の水 : '77年8月号から使われた、読者コーナーや編集部からのお知らせ・次号予告・編集後記などの総称。'78年12月号より『ミックスサンド』に替わる。

[63] K : 月刊OUT編集部員。創刊2号・伝説のヤマト特集やその後みのり書房から刊行された『ランデヴー』などを担当。のちに『ファンロード』誌編集長、「イニシャルビスケットのK」。


前の人インタビュー集トップ次の人
大徳哲雄さん第2回( 123 | 4 | 5 )